渡辺 武 - Tobi Watanabe

【名前】渡辺 武

【生年月日】1989年8月2日

【出身地】宮城県

【所属会社 / 部署】FEARLESS / Sedai Coffee

【MBTI】運動家 - ENFP

CEO INTERVIEW - FEARLESS / Sedai Coffee

- FEARLESSを始めたきっかけは


2014年、当時Appleにいながら創業メンバーのマットと一緒に、FEARLESS FILMっていう映像に特化した事業を立ち上げました。その後FEARLESSとして2018年5月16日に法人化しました。


映像というものに対してのこだわりはもちろんあって、元々アメリカに住んでた時から写真もすごく好きで。ただ、写真だけでその人の思いを伝えていくのに、ちょっと限界を感じてて。そこから映像という手法、当時一眼レフで映像を撮れるっていうのがアメリカでは主流になってたタイミングだったんで、そこから色々やってみようかみたいな感じで、友人のマットと一緒に始めたという感じですね。



- マットさんとの出会いを教えてください


たまたま僕がアメリカから帰ってきてる時に、軽井沢にある英語学校でスタッフとしてその学校を手伝うっていうタイミングがあって。そこにマットが高校卒業して入ってきたのが1番最初の出会いで。

マットはそん時からカメラとかパソコンとか、結構ギークな感じで。僕自身も当時から同じようなものが好きだったんで、意気投合して一緒に写真を撮りに行ったりとか、よくしてましたね。

最初から…そうね、あってましたね。なんとなくわかるじゃないですか、そういうのって。出会ったら、この人とはなんか長く一緒にいそうだなみたいな、そういう嗅覚は多分昔からあって。マットは特別にそういう感じではあったっていうか。



- 「FEARLESS」という社名はどのように決めたのでしょうか


当時、自分の実家でマットと一緒に住んでて。2段ベッドのマットは2段目で、僕が下で寝てるんですけど、それで「名前どうする?」みたいな話を2人でしてて。


FEARLESS(恐れ知らず)っていうのは、自分たちの信念としてもすごくいいなっていうのと、日本人にあんまり馴染みがあるようでない言葉なんで、「どういう意味なんですか」って聞かれた時にも、答えやすいかなっていうのもあったんで。それもあって、自分たちの信念としてこの言葉を持ってやっていきたいねって感じで決めましたね。



- 幼少期はどのような環境で過ごしましたか


生まれは仙台なんですけど、ちっちゃい時に母親の実家である宮城県の丸森町っていうとこに引っ越して。

うちの母親が結構変わってる人で。いい意味でね。ホームステイを受け入れるっていうのを昔からやってて、東北大学の大学生を中心にオーストラリア人とか、いろんな国の人たちがうちに住んでるみたいな状況で。そこから、自分と違う人たちがこの世界にいるんだっていう魅力みたいなのは、ずっと感じてたってのはありますね。



- 全寮制高校に通われていたそうですね


そうですね。先ほど話した丸森町っていう町は、本当にすごい小さな町で。「隣の人のooのテストが何点だった」とか、学校での点数もわかるような、お互いのことがよくわかる小さいコミュニティで。中学校を卒業したら、みんな高校もストレートで同じ学校に行くっていう田舎あるあるだと思うんですけど。それが自分の中でずっと違和感で、このままずっとこの人たちと一緒に成長していって、自分はここで何をするんだろうっていう、目的が全くわかんなくって。

その時に、また変わった母親が出てくるんですけど、母親の知人である専修大学の教授が紹介してくれたのが、山形の小国町という基督教独立学園っていうキリスト教の、超山奥にある私立高校で。全寮制で、さらに山奥に突っ込まれるっていう3年間を送ってました。

語り出すと朝まで話せるぐらいいろんなエピソードがあるんですけど、まず1学年25人しか入れません。朝は牛小屋の清掃から始まって、乳搾りをして、その牛乳を加工してバターにしたりとか、それを朝ごはんに出したりとかっていうのがあって。朝は日の出とともに起きて、日が沈むときには寝るというようなサイクルで生活してて。

農業学校っぽく聞こえるんだけど普通科の学校で、いろんな授業もあって。そこで結構人格形成というか、人間力、人として1番大事なものは何か、みたいなのはすごく考えさせられました。

朝起きて空気吸えるだけで感謝みたいなのは、高校の時毎日味わっていて。春の匂いがしてきたなとか、もうそろそろ雪降るなとか。そういう1つ1つの変化に対して、喜びを覚えてたというか、ほんとに生きていることに常に感謝できるっていう3年間を過ごせたっていうのは、自分の中で、大切な時間でしたね。



- その経験は仕事にどう繋がっていると思いますか


どんな状況でも楽しく生きるっていうのを高校の時に学んだなと思っていて。ほんとに物がなかったので、あるもので、いかに楽しくできるか。人間関係も、嫌なことがあったら正直にお互い話した方がいいし、ギスギスしてたら、その与えられてる時間もったいないじゃんっていうのをすごく感じてたんですよね。

常に楽しく生きていきたい。どうせやるんだったら、ありがとうって言われることをやりたいっていうのは高校の時から思ってたので、それは今の仕事でもまるっきり一緒で。

FEARLESSに出会う人が、FEARLESSと出会ってよかったな、FEARLESSと一緒の仕事ができて良かったなってみんなが思ってもらえるような仕事をしたいと思ってるので、それは昔から何も変わってないですね。



- FEARLESSの強みはどんなところでしょうか


多角的な視野を持ってるっていうことは、すごく強いなと思っていて。

1つのことだけ追い求めてきたわけじゃない。みんな本当に良くも悪くも飽き性で、いろんなことチャレンジしてきて。でも落ち着いたのが、映像が好きだとか、お客さんに感謝されるのが好きだとか、やっぱりその1つの好きにちゃんとたどり着いてる人たちが集まってるっていうのがすごく強いのかなと思ってます。

プラス海外での仕事、英語を使うっていうことも結構頻繁にあるので、なかなか通常のクリエイティブの会社だと意外と英語が使えないっていうことが結構あるので、グローバルに戦えるというのも、FEARLESSの1番わかりやすい強みになってるかなと思います。



- これまでの仕事の中で1番しびれたエピソードを教えてください


自分自身の物事の見方が変わったタイミングの話なんですけど、FEARLESS FILMとしてやった時は、案件として2、30万みたいなのが何個かあって。FEARLESS FILMから株式会社FEARLESSになるタイミングに、とある会社のコンペを受けてて、それがグローバルにいろんなところを回って、その会社の紹介の映像を作ろうっていうものだったんですね。

当時の金額が確か400、450万とかそれぐらいで、当時の僕たちには大きな案件で、それが取れるか取れないかで、生き残れるか残れないかみたいな状態。僕とマットと2人でプレゼン準備とか色々必死にやって取れたわけですよ、結果的に。

2年半ぐらい前に同じような規模感の仕事が決まった時に、僕が言った一言が「450万ぽっちか、何作れんだろうね」って。その時に、すごいハッとさせられて。

自分って別にそんな大したことやってきたわけじゃないのに、当時のお金の感覚と今のお金の感覚にこんなにギャップがあるっていうことに、結構自分の中でショックを受けてしまって。改めて自分自身を見直すというか、与えられてる仕事を金額とか特に関係なく、常にベストを尽くしていくって決めたきっかけになった案件と言うことでは、すごくハッとさせられたエピソードかなと思います。


もう1個しびれたのは、海釣りの撮影で。一般の人が買えるリールを使って、40kgのマグロを釣るっていうドキュメンタリーを撮りに行ったんですよ。僕とマットの2人で久米島に行ったんですけど、ちょうど台風と台風の間で。もう波がどんどん高くなるわけですよ。

ちょっと汚いんですけど、ひたすらゲロ吐きながらカメラ回すみたいな。回しては吐く、回して吐くみたいなことをずっとやってて、そん時はマジで死ぬかなって思いました。

そん時はまだ子供が生まれたばっかりで、ここで死んだら家族に会えなくなるのはやだなって思って、仕事を頑張ったっていうのが1番しびれたかな。もう2度とやりたくない仕事ですね 笑



- Sedai Coffee(セダイコーヒー)を始めた経緯を教えてください


FEARLESSが目まぐるしく変わっているタイミングで、人も何人も辞めていったりとか、変化の時間があったんですけど、その時に1番感じたのは、なんでこの人たちは辞めるんだろうなって。みんな辞めれていいなって思ったんですよね。

自分はFEARLESSを立ち上げたわけですし、経営もしてるので、辞めることができない。でもずっと悶々としていて。

昔コーヒーにどっぷり浸かってた時に、自分で焙煎とかもやってたので、久しぶりに家で焙煎してみるかと。家で焙煎して飲んだら、毎月定期便でもらってるカフェのコーヒーよりうまいぞってなって。あれ?って。で、これは自分でもう1回やってみようかなと思って、火がついてしまって。

そこから焙煎機を買ってオフィスで焙煎して、パッケージを作ってECで売って、みたいなことやりはじめて。以前自分たちが構えてたオフィス物件の1階部分でカフェができたら、いいなとずっと思ってて、そこが想像以上に早いタイミングで空いてくれて、ダメ元で申し込んでみようと思って申し込んだのが、今のSedai Coffee 1店舗目のスタートです。



- なぜ「Sedai Coffee(セダイコーヒー)」という名前になったのでしょうか


セダイという名前は、自分たちが多くを与えられてきたからこそ、自分たちの次の世代に対して何かを残せる、いい影響を与えることができる、そういうブランドになったらいいなっていう思いがあったので、セダイっていう名前にしました。

Sedai Coffeeをやって1番良かったことは、やっぱり出会えない人と出会えたことですよね。Sedai Coffeeをやってるからこそ、そのお店に来てくれる人がいて、自分たちのことを知ってもらえる。働いてる人たちもSedai Coffeeじゃなかったら多分出会ってないスタッフのメンバーなので、そういったみんなと会えたってのもすごく大きいかなと思っています。



- この事業を辞めようと思ったことはありますか


ありますね。1番は、マットとの信頼関係がもつれたタイミングがあって、具体的に何かおっきな出来事があったってわけじゃないんですけど、元々仲が良かったからが故の「言わなくてもわかるよね」みたいな文化があまりにも大きくなりすぎちゃって。

自分の必要性とか、2人でやってる意味とか、そういうのがあんまりわかんなくなってきたタイミングがあったんですけど、ちりつもで爆発しちゃって、「いや、(会社経営)辞めるわ」みたいな。「もしくは俺が、辞めるわ」みたいなのを、言ったタイミングもありますね。

でもそれが最初で最後かもしれないですね。


当時まだ4人で、空(ソラ)はインターンから新卒として入ったタイミングで、僕が辞めますみたいなことを言ってしまい、みんなに不安とか心配をかけたと思うんですけど。

篤(アツシ)くんも心配ながらに一緒に話す機会を、本来僕が作るべきところを2人が作ってくれて。そこで僕とマット、空、篤くん、4人みんなでちょっと遠出して話すっていうことがあって、そこをきっかけに少しづつ柔らかくなった部分はあるかもしれないですね。今は関係良好です 笑



- 今、ご自身が目指している人やメンターはいますか


(会社経営において)この人の背中だったら追いかけられるなっていう人にあんまり会ったことがなくて。自分の経営スタイルってこれで合ってるのかなとか、そういうのを本当に相談できる人もいなかったんで。そんな時に出会ったのが、インスタイルグループのヒデさんで。川畑さんという方のご縁を通して繋いでもらって。2025年の8月にインスタイルのオフィスに行って、ヒデさんと話したっていうのが1番最初ですね。

ヒデさんは自分の中で本当に求めてた、ずっと探していたような人で、自分が本当にやりたいなと思っていること、できたらいいなって思ってることを、もう何年も前からすでに実践してきている人だったので。会う前からポッドキャストひたすら聞いて、どんな人なんだろうって思いを巡らせながら、すごい楽しみにして会いに行って。

想像通りの人で、⾃分たちの事業をより良い⽅向に進めたいと、試⾏錯誤している中で会えたことがすごく嬉しかったっすね。



- 今後の展望や志があれば教えてください


なにかしらAIにどんどん置き換えられていくっていう世の中で、「仮にAIでできるかもしんないけど、やっぱりFEARLESSと一緒にやりたいよね」って言ってくれる人と常に仕事をしている会社でありたいって思いますね。

具体的に何人にしたいとか、こうなっていきたいっていうのは正直あんまりなくて、今も昔もあんまりないんですけど、見積もりの書き方1つとっても、少しここで金額を変えることによって、残る利益が何%か変わるよねとか、そういう話を、今一緒にその思考プロセスを踏んでくれてる人(ヒデさん)がいるっていうのは、すごく自分にとって心強いですね。


一言で言うなれば、大きく社会を動かしたいとは思ってないですね。

自分の置かれている環境で、一緒に働けてる人とか、出会った人たち、家族、会社のメンバー、その人一人ひとりの生活を1歩2歩さらに豊かにしていくっていうのが、FEARLESSとSedaiでの志です。